昨年の第3回までは古牧保雄君や米倉明秀君(会長代行)、望月一伸君、鈴木義男君等、地元の人たちが中心となって開催してくれています。 開会式では細川健一君と私が長剣形を演武し、基本動作 特別演武では、号令を川田多美子(香川県)、演武を武井綾音(千葉県)と野村五月(早稲田大学)が行いました。 講評を兼ねて思いついたこと述べると、人数的には200名弱の参加者でしたが、各都道府県からトップクラスの選手が集り、まずまず、見応えがありました。誰が勝ってもおかしくない、誰が世界大会の代表選手になってもおかしくない、正に白熱した戦いを観戦することができました。 特に、特筆すべき事を述べると、長剣両手の部の決勝戦で、昨年の田邊杯チャンピオンの愛知県 岩田徹二選手と同じく愛知県の佐藤陽平選手の試合では、佐藤選手が「小手を打たれました」と申告し、最終的に岩田選手が優勝となりましたが、上席の私の隣で観戦していた望月俊明氏(静岡市議・元由比町長)がそれを見て、「このスポーツは素晴らしい」と大変感動しておりました。それを聞いて、私は大変に嬉しかった。他の上席の来賓者も同様に、大変感心しておりました。また田村勇樹選手(神奈川県)も同様に、自ら審判に打たれた事を申告し、相手を讃えておりました。 これらは私が常々言っているところの「勝ってよし、負けてよし、見てよし」の戦人としての最高の勲章です。この潔さというものは多くの人の心を打つものでしょう。「打たれていない」と挙手して再判定を望むもよし、「打たれました」と言って再判定を望むもよし。そのいずれでも良いのです。 いずれにしても、爽やかな人間、爽やかに相手を讃えることができれば、最高の戦いです。スポチャンは結局2審制ですから、選手が自ら負けを認めても、最終的には審判が判定を下します。くれぐれも勘違いしないようにして下さい。選手が負けを認めたからと言って、そのまま判定が決まるわけではありません。検査役も含め、4名が再考した上での再判定となるわけですから、選手の言うことは参考になっても、それが100%ではありません。 私は以前に「このスポーツには審判は要らない」と言ったことがありましたが、全ては勝ち負けに拘らない、そこに行き着きます。ようやく皆さんも理解してきたように感じます。私にも審判も見えない位、早く打たれる場合がありました。その圧倒的なスピードに「まいったな・・」と思う時が有ります。その時、知らん顔をして続行していたなら相手に申しわけない。2人だけが判っているその一本を、そのまま知らん顔はできないでしょう。
そうですね。 藤田君や武井君は、師匠の吉見憲一君と共に本部の特錬会に休まず参加してきていました。吉見君の指導が良いのでしょう。どこの大会でも武者修行させています。「面数(めんかず)」という言葉がありますが、武者修行の中で、度胸がつくのです。いろいろな選手の中に飛び込んで行って戦う訳ですから、これは強くなる、当然ですね。武者修行ができない人たちは、「井の中の蛙」。負けて負けて強くなる。この吉見君の考え方は大変に良いと思います。これからも強くなるでしょうね。
いやいや、まだまだ海千山千がおりますから。 これまでの大会で、現時点での世界戦選手権大会の日本代表としては、 基本動作:川田多美子(香川県)、武井綾音(千葉県)の2名 打突部門:藤田英之(千葉県) が決定です。 7月1日の全日本選手権大会で基本動作、打突部門、それぞれ1名が決定するでしょう。全国少年少女大会や、大学生選手権大会といったオープンではない、カテゴリーが定まっている大会は、世界大会の日本代表選考会とはなりません。また、アジア・オセアニア大会、ヨーロッパ大会等は、まだ日本からの出場選手が少ないので、選考の参考と言うことになります。現在、オープンは「世界選手権大会」「田邊杯選手権大会」「全日本選手権大会」の3つしかありませんので、今後、この田邊杯選手権大会により多くの選手が出場し、益々盛んになることを期待しています。