スポーツチャンバラ 田邊哲人会長のインタビュー
インタビュー記事No.23
「 [スポチャン発祥の地]記念碑建立 」

田邊哲人会長
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静岡新聞8月22日

「スポーツチャンバラ発祥の地に記念碑」由比・阿蘇宇神社で除幕式

日本スポーツチャンバラ協会(田邊哲人会長)と由比町民の有志が、スポーツチャンバラ発祥の地とされる同町の阿蘇宇神社に記念碑を建立し、二十日、除幕式を行った。
 記念碑は高さ約三メートルで、スポーツチャンバラを通じた青少年の健全育成へのおもいなどが彫刻してある。式典には田邊会長と望月俊明町長、競技関係者ら約七十人が出席し、建立を祝った。
 スポーツチャンバラは由比町で育った田邊会長が幼少時代、同神社境内で友人と棒切れを手にして遊んだ「チャンバラごっこ」が起源という。同町では二年前から、国の「スポーツ拠点づくり推進事業」の一環で全国大会も開かれている。
 田邊会長は「この神社は私の原点で、記念碑建立はうれしいの一言に尽きる」。望月町長は「スポチャン発祥の聖地として大切にしてきたい」と話した。



スポチャン田邊哲人会長インタビュー23 スポチャン記念碑除幕式写真
望月町長、田邊会長、記念碑の前で由比町の子供達と共に

由比町の阿蘇宇神社に「スポチャン発祥の地」碑が建立されました。
おめでとうございます。


  スポチャン発祥の地に記念碑ができました。
この地は、6000年前、縄文時代前期の阿僧遺跡と認定されている場所です。ちょっと目を凝らすと縄文土器がまだ見つかるような、非常に平穏・温暖な地です。神社から見て真正面に駿河湾を眺め、東に由比川、西に和瀬川が流れ、昔から豊かな地だったのでしょうね。その真ん中に阿蘇宇神社があり、建立は800年前(平安時代)と聞きます。昔は御嶽大神も併合して祀ってあったそうで、明治4年に近隣の寺を統合する形で阿蘇宇神社に統一されたそうです。何しろ6000年の歴史ある地、そして神宿る神聖な地ですから、そこに碑が建つと言う事は大変意味深い事です。ご存じの通り、神社の中に碑を建立できると言うことは、そうそうないことですから。




この由比町は、青少年育成の場として総務省の100のスポーツの1つとして、即ちスポーツ推進事業の「スポチャンの聖地」としても認定されていますね。


  以前にもお話ししたように、私の一家は日本の植民地であったパラオに8年間在住していまして私もパラオで生まれました。先の大戦でサイパン陥落の1ヶ月前の昭和19年6月に無事帰国する事ができ、幼少の頃は母の実家がある神奈川県の二の宮に預けられておりました。小学生になると由比町の北田小学校(後の東小学校)に入学し、高校2年生までをこの地で過ごしました。現望月町長を始め由比町スポーツチャンバラ協会会長の米倉君などは当時の悪ガキ仲間で、当時はゲームも遊技施設もないので、この神社でチャンバラごっこをしたり、かくれんぼをしたり、蝉を捕ったりして日が暮れるまで毎日遊んでいました。そのように由比町、そして当時のガキ大将仲間や地域の皆様とは深い縁もあり、皆様の御支援、ご協力によって国の「スポーツ拠点づくり推進事業」"100の甲子園"の1つとして、U18才の少年の所謂、野球で言うところの甲子園のようにこの由比町が「スポチャンの聖地」としてとして認定され、そしてこの地に「スポチャン発祥の地」の記念碑も建立することが出来ました。

  私がこの阿蘇宇神社で駆け回っていた頃、当時はこのような場所がどこにでもあって、地域のコミュニティーの広場になっていました。そこでは先輩や近所のおじさんから、机上の勉強では得られない世の中のしきたりや、人を思いやる気持ち、和や加減と言った事を教わる重要な場所でした。そういう子供の頃の社会勉強が、青少年に与える影響が如何に大きかったかと言うことをいつも痛感します。




現在、そう言った場所はますます少なくなりますね。


  そうですね。
そういう縦・横・丸のコミュニケーションの場がなくなれば、人の気持ちや和や力加減を教り確認する機会もなく、いつもいつも誰かを蹴落として一つでも上へのし上がっていく事しか考えない人間、" 平和・共存 "が理解できない人間に育って行くのでしょうね。
  今のような横並びのオールライバル的教育、点取り競走などと言うものは、誰かが仕組んで、それに深く考えない父兄が乗じるという悪循環に陥っているとしか考えられない。この様な競争社会の中では全員がライバルで、いつしか味方も敵となっているような魑魅魍魎とした世界です。また世界中がこういう競走社会になってきていますから、なかなか学校も政治も大変でしょうね。

  先の北京オリンピックを見ていると、全く哀しいところを見ましたね。スポーツとしてのEnjoy(楽しみ)・爽やかさがあまり感じられません。泣きながら走っているマラソン選手、気を失ってしまったシンクロの選手、負けた者の姿はあまりに哀しすぎる。自殺したマラソンの円谷選手の事を思い出しました。参加することに意味のあるオリンピックから、もはやメダルのみに意味があるオリンピックに成り下がったような、格調の低さを感じます。まるで選手たちは、国やメディアの為にメダルを取る"鵜飼いの鵜"のようです。そのような現状をメディアに踊らされる事なく、今一度、冷静に考えなくては・・・・。 人間が真の力が出せるのは楽しみとかリラックスしている状態の時であり、追い込まれて萎縮し、身体が動かない状態で良い結果が出るわけがありません。選手が追い込まれると、つい薬物に手を出したりしてドーピングする選手が出たり。
  また、スポーツというものの中にはEnjoy(楽しみ)があるものです。しごきにしごいて強くなるとか、根性がつくなどという人間の限界を越えるトレーニングは、非常に危険です。私はある時期、国体出場選手も指導していましたが、強制的な訓練は一切しませんでした。先に相撲部屋で死人が出ましたが、他のスポーツでも同じような事が行われているのか、見直した方が良いでしょう。




確かにオリンピックではメダルを取れなかった選手が哀れでした。

スポチャンでは、子供達は各大会でも大いに楽しんで出場している印象です。各地域での活動も、この由比町をはじめ、小学校や中学校の授業に取り入れられたりと活発な活動が伺えます。


  文部科学省では「子供の居場所作り」を推進していますが、現在の子供達には、学校・塾・自宅等の数カ所しかありません。子供というものは、遊びの中に学び、居場所の中に子供なりの居心地がある。コミュニティーセンターと言ったお金を掛けた箱ものでなくても、神社の境内のように、居心地が良い場所があれば自然とみんなが集まって来るものです。核家族が進む昨今、地域は地域ぐるみで子供を育てていかなくてはいけないと思っています。今後、ますますそのような居場所が必要になって来るでしょう。村の一つひとつにこの様な鎮守様を作った先人の知恵の中で神の存在を知り、その加護の元で人は社会性を養い保ってきました。今一度、我々の見失いかけている行き場について、真剣に考える時が来たのかと思いますね。

  スポチャンは、子供達の個性を伸ばしながら体力にあった指導、楽しさ爽やかさをもち、そしてそのような青少年育成としての縦・横・丸のコミュニケーションや地域貢献の実現を目指しています。私はこの度の碑の建立に際し、スポチャンがこのような居場所を通じて更に健康的な社会に役立って行かなくてはならないと感じています。
スポチャンとは、日本人の原点、即ち「"ムレ"から発祥した村」という意味に於いて、"ムレ作り"だと思っています。今、"ヨリスガ"が必要なのでしょうね。



スポチャン田邊哲人会長インタビュー23 スポチャン記念碑除幕式 田邊会長の真剣による演武
スポチャン記念碑除幕式 田邊会長の真剣による演武



有り難うございました。
この除幕式の模様を約1時間にまとめたDVDが発売されます。(\5,000税込) お申し込みは本部事務局までご連絡下さい。

次回のインタビューもお楽しみに!!

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